志村會にいってきました。

 先月急逝したフジファブリックのボーカル志村さんのお別れの会、通称「志村會」に@ryo_katsumaといってきました。

僕らが参列したのは、17時から20時までの第二部。19時20分頃に中野サンプラザに到着したのですが、予想以上の人だかり。中野サンプラザの入口前の広場いっぱいに参列者がおり、その列は左手の道沿いにまでならんでました。

 30分程経過し、ようやく中野サンプラザの中に。

 すると、中野サンプラザの中でも大行列が。一階から始まった行列は二階席のロビーをいっぱいに使うほどに伸びており、中野サンプラザのホールに入ったのは並び始めてから約一時間後でした。


 中野サンプラザのステージの中央には、富士山の形にかたどられた花でかざされた祭壇があり、その上には帽子のつばに手をかけ、正面を向く志村さんの写真が飾られてました。また、その前方には彼が愛用していたテレキャスターを初めとするギターが並べられておりました。(内部は写真撮影禁だったので具体的な様子はナタリーの記事(「「志村會」でフジファブリック志村正彦をファンが追悼)を参照ください。)この時点で、「あ、本当にいなくなったんだなあ」と実感させられます。また、ステージを覆うようにある大量の献花は、本当に愛されたアーティストだったことを再認識させてくれるものでした。


 大行列はホールの中でも続きます。右手の入り口から入って一階の最後列にいき、座席に沿って一列ごとに進んでいきますが、バラードを中心に選曲された楽曲と、ちょっと挑発するようにこちらを見据える志村さんの写真がこちらの感情を揺さぶってきます。この時点で、かなり泣いている方もいました。


 20分程経ち、前方の通路まで来たところで、ある人達の姿が目に入ります。それは、ご遺族の方々。献花台に向かうファン一人ひとりにお辞儀をしておりました。


 その姿を見て非常に居たたまれない気持ちになりました。と、同時に自分たちが参列している行為はものすごく残酷な行為かもしれないと感じてしまいました。そして、息子の死をご両親はどのように受け止めているんだろうと思うに、胸が熱くなります。(自分自身が彼と半年しか誕生日が違わないだけに、そのご両親の姿がやけに生々しく思われてしまいました。)


 そして、ホールに入って約30分後、並び始めてから約1時間半後、ご両親、ご家族にお辞儀をし、献花台に向かいました。


 @ryo_katsumaと一緒に献花台に花を手向け、黙祷を捧げます。


 その後、ホールを出たところで、参列者に対し、チケットと手紙が配られました。(ちなみに事務所の社長である原田公一さんがこちらで挨拶をされてました。)


 何とも言えない喪失感を覚えたのですた時に比べると、個人的には非常に落ち着いて向きあうことはできたのですが、こういった形で彼の死を実感すると、本当に残念な気持ちでいっぱいになりました。と同時に、気持ちは薄れてしまうかもしれないけれど、彼が作り、彼が歌った楽曲のことは忘れずに生きていたい、そう思わざるをえない出来事でした。


 安らかに、お眠りください。